そりゃ洗濯に決まってるでしょ~神経症的日常生活考②~

今週のお題「晴れたらやりたいこと」

何をするにも時間のかかる私、冬物の片付けがまだ終わってない。

ちょっと小旅行もしたので、洗濯するものが山のようにある。

晴れていても外に干すなんてことは汚なくて出来ないので、
室内の邪魔にならない場所は洗濯物に占領される。

という訳で最近は毎日干したもののお手入れ(と私は呼んでいる)に忙しい。

洗濯物を早く乾かすためには空気を当てなければならないので、
裏返す、先に乾いたものから片付ける、大物には扇風機で風を送る(サーキュレーターも乾燥機もウチにはない)、等々やることはたくさん。

面倒なのは、洗濯物に触るたびに手を完璧にキレイに洗って、完璧に乾燥させなければならないこと。

1日に手洗いを(多分)100回くらいする私、
当然手を拭くタオルは水浸し。

ほぼ毎回絞る必要がある。

それでも手は乾燥しないから、その度にティッシュで拭かなければならない。

ここで当然そのタオルやティッシュは本当にキレイか?という問題が持ち上がるが、

滅菌してるわけじゃないから、ばい菌が付着しているぐらいのことは私だってわかってる。

でもいいの。

私にとっての最大の問題は、
ばい菌じゃなくて
「汚なさ」。

客観的にばい菌がどれだけいるかということではなく、
あくまでも私の主観である「汚なさ」が大事なんである。

アハハ。私にとってキレイならそれで良い。

不潔恐怖とか潔癖症と言うと、
ものすごいきれい好きと勘違いされることが多いけれど、
それは大きな間違いだよん。

私がどれだけ汚ない生活をしてるか、
もし人が見たら驚くはず。

見せないけどね。

「妄想」は「空想」ではない

ここ15年くらいだろうか。

空想とか想像のことを、「妄想」と言う人が劇的に増えた。

特に、
社会的に許容されないことを空想する場合、
「妄想」という言葉を使うのが当たり前のような感じさえある。


でもその言葉の使い方は間違っている。


「妄想」とは、
その内容が現実か非現実かの区別がついていない状態を言うのであり、
「空想」や「想像」とは明確に違うからだ。


「妄想」という言葉が乱用されるのと同時に、
「空想」や「想像」という言葉は使われる頻度が減ったと思う。

でも実際には、
妄想を持つ病的な人は少ない。

一方で、人はほぼ毎日空想や想像をしているはず。


面白がって「妄想」を多用しないで、
「空想」は空想、「想像」は想像と表現する日本語話者でありたいと私は思う。

緑内障検査

眼科に行ってきた。

40過ぎたら緑内障の検査を毎年受けなさいと誰かに言われたけれど、10年くらい前に、40代半ばで一度受けたきりで気になっていた。


まず視力検査。近眼はそんなに進行してなくてホッ。

風を当てる眼圧検査のあと、いよいよメインの視野検査。

片眼ずつ覗きこみ、真ん中のオレンジの光を見続ける。
その周りに白っぽい発光を感じたらボタンを押す。

この光が強かったり弱かったり、大きく見えたり小さく見えたりで、

アレ今のは??
光ったの?気のせい?

と考えているうちにすぐに次の発光があったりして、
あれれ今失敗したかも

なんて思ったらまた光が見えて、

ちゃんとやらなきゃ

と思っているうちに、
真ん中のオレンジの光ではなく周囲の白い光を追いかけている自分に気づく。

きゃーこれじゃ検査にならない!

なんて考えるけどそのままどんどん白い発光は続き、
手に握ったボタンを持つ手にも力が入り、余計なところで押してしまったような気がして
ますますカーっとしてくる。

時々白い光を追ってしまった警告であるブザーが鳴ったりして、
3分経ったのか5分だか10分だか全然わからない状態になったところで
「ハイ終わりです」
と優しい声がしてやっと片眼終了。

もう片方の眼もやはり同じような感じでかなり疲れ、
待ち合い室に行って、今度は目薬をさして次の検査を待つ。

そのうち目の前が白っぽく膜が張ったように見えてくる。

確か瞳孔を開かせる目薬だと言ってたよね?
死んだ時も瞳孔って開くんだよね?
死んだ時にもし生きてたらこんなふうに見えるの???

なんてアホなこと考えていると今度は眼底検査。

これは難しくもなくすぐ終了。


〔検査結果〕
眼圧、視野、眼底全て異常なし。
よって、緑内障を疑う所見なし。

私「あのー、次の検査は1年後ですか?」
センセイ「いやそんなに頻繁にしなくてもいいですよ」
私「じゃあ3年後とか?」
センセイ「まあ心配ならそうですね」


なんだ。

10年前の病院では、1年ごとに検査受けなさいと言われたけど、
定期的に検査しなくても大丈夫なんじゃないか。

とにかく良かった。

眼が見えなくなったら、

テレビもスマホも見られなくなるし、
美味しいものも眼から味わえなくなるし、

何よりも私にとっては、キレイ汚ない生活に重大な支障が出て、
それを苦にして自殺しようにも、
今よりも更にやりにくくなるという大変な問題が起きる。

死ぬためにも眼は大切にしなきゃ。

なんである。

皆さん40過ぎたら緑内障検査受けましょうね。

「研ナオコ」

今週のお題「髪型」

ずーっと昔、
「こんな髪型にしてください」と研ナオコ氏の写真を持って美容室に行ったことがある。

ショートでさらっと風になびく感じの髪型だった。

美容師さんは、それならと言って、私の髪にパーマをかけ始めた。

えっ普通のパーマかけるの?
ストレートパーマじゃなく?
と思ったけれど、気が小さい私はそれが言えなかった。

パーマをかけ終わったら、私の髪はくりんくりんになった。

これが美容師さんのテクでさらっさらの流れるようなヘアになるんだろうか???

ンなはずはなかった。

「ほーら写真みたいになったでしょ」って、
どこが写真みたい??

どこをどう見たらこれがこの写真の髪型なの??

そう心の中では思ったけれど、
恥ずかしさで何も言えなかった。

翌日、
「何だその栗きんとんみたいな頭は!?ハハハ」
と周囲の人に笑われても、恥ずかしいから平気なふりをしていた。

もうパーマなんかかけるもんか。

パーマが取れるまで1か月くらい、自分の気の小ささを悔やんで暗い毎日を送った。


今思い出しても赤面するダメな私の昔話。

「格差婚」と言うなら~桑子アナと谷岡アナ~

NHK桑子真帆アナウンサーとフジテレビの谷岡慎一アナウンサーが結婚するというニュースなどで、またしても「格差婚」という言葉が使われている。

桑子・谷岡アナよりも、卓球の福原愛選手と江宏傑選手が結婚した時は酷かった。

どうして女性のほうが人気・収入・学歴などで男性より上だと、「格差婚」と、何か問題でもあるかのような言われかたをするのか。

逆に言うと、どうして女性のほうが格下でなければならないのか。

体操の内村航平選手の妻は無名の体操選手だったそうだが、そのことで「格差婚」と言う記事は見たことがない。

「格差婚」という言葉を問題にする意見もあって良いと思うが、私は聞いたことがない。

やはり、日本ではいまだに、男性が主であり女性は従であるという考えがまかり通っているのだと思う。

「格差婚」なんて言葉が平気で使われている限り、その状態は改善されていないのだ。


私は格差婚という言葉は使わない。

格差婚と言うなら、男性人気歌手と女性無名歌手のカップルにでも使えるようになってからにしろ。

「格差婚」と考えもなく言う人にはそう言いたい。

快復❗

約3日間、ほとんど寝て回復に努めたので今日は朝からかなり元気に。

昨日の昼間は38.8℃あった熱も今日は36℃台。
朝シャワーしたらすっきりしてだるさもなくなった。
(「体力を消耗するから風邪の時の入浴はダメ」と信じてそうしたけれど、もっと早くシャワーするべきだったのか…)

あとは、明後日のコンサートの予定を考えると気になる咳。
あまり買ったことがない風邪薬なんか買ってみた。
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「せき止め」とでっかく書いてあるのにだまされてやったから効いてよね!