幼少期

少し前になるけど、「ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」という映画を観た。

天才的な、誰もがうらやむような資質と実力を持った人でもその内実は不幸ということがあるんだな。
それは不幸な幼少期によるものだったりする。

でも、あれほどの才能を持った人はダンスに昇華させることが出来るようで、凡人の私から見るとやはり羨ましいなあ。

同じく(勿論全然違うけど😄)不幸な幼少期を送った私は、50代になってもその呪縛から逃れられていない。
逃げても逃げても執拗に追いかけてくるあの頃の記憶は、もはや記憶とかいうものでさえなくて現在の私の精神生活の重しみたいなモンである。

こういうのをトラウマというのかな。

多分死ぬまで消えることはないんだろうな。

困っちゃった

手首の軽いケガを、病院で処置してもらった。

看護師さん曰く「濡らさないでください」。

さー大変!困っちゃった!!

私は日常生活で、手が洗えない状態というのが一番ツラいんである。

もちろん患部を濡らさないように洗ってはみるけれど、
充分とは言えない。

普通なら必ず手首まで洗わないと手がキレイとは見なせないのに、それが出来ないのである。

しかも利き手。

キレイなモノには怖くてさわれない。
よって、洗濯物を取り込めない。
冷蔵庫やロッカーの奥のモノが取れない。
新たに洗濯も出来ない。

手全体を完璧にキレイにできないのであるから、
一定以上汚すことは許されない。
片付けや掃除は出来ない。
ゴミに触るなんてもってのほか。
明日の朝はゴミ出しも不可能。

要するに、キレイさのレベルが非常に高いものにも低いものにもさわれないんである。

レベル真ん中だけで生活するしかないが、
活動すればどうしても手は汚れる。

だから活動しない。
さっきからほとんど、寝転んでテレビを眺めているだけ。
(病院から帰ってベッドに寝転べる状態になるだけでも一苦労、テレビのリモコンやスマホの扱いもいちいち大変)

今夜は何もせずこのまま寝るしかない。
トイレさえもなるべくガマンである。

あーもう何でこんなことに!

そりゃ洗濯に決まってるでしょ~神経症的日常生活考②~

今週のお題「晴れたらやりたいこと」

何をするにも時間のかかる私、冬物の片付けがまだ終わってない。

ちょっと小旅行もしたので、洗濯するものが山のようにある。

晴れていても外に干すなんてことは汚なくて出来ないので、
室内の邪魔にならない場所は洗濯物に占領される。

という訳で最近は毎日干したもののお手入れ(と私は呼んでいる)に忙しい。

洗濯物を早く乾かすためには空気を当てなければならないので、
裏返す、先に乾いたものから片付ける、大物には扇風機で風を送る(サーキュレーターも乾燥機もウチにはない)、等々やることはたくさん。

面倒なのは、洗濯物に触るたびに手を完璧にキレイに洗って、完璧に乾燥させなければならないこと。

1日に手洗いを(多分)100回くらいする私、
当然手を拭くタオルは水浸し。

ほぼ毎回絞る必要がある。

それでも手は乾燥しないから、その度にティッシュで拭かなければならない。

ここで当然そのタオルやティッシュは本当にキレイか?という問題が持ち上がるが、

滅菌してるわけじゃないから、ばい菌が付着しているぐらいのことは私だってわかってる。

でもいいの。

私にとっての最大の問題は、
ばい菌じゃなくて
「汚なさ」。

客観的にばい菌がどれだけいるかということではなく、
あくまでも私の主観である「汚なさ」が大事なんである。

アハハ。私にとってキレイならそれで良い。

不潔恐怖とか潔癖症と言うと、
ものすごいきれい好きと勘違いされることが多いけれど、
それは大きな間違いだよん。

私がどれだけ汚ない生活をしてるか、
もし人が見たら驚くはず。

見せないけどね。

「妄想」は「空想」ではない

ここ15年くらいだろうか。

空想とか想像のことを、「妄想」と言う人が劇的に増えた。

特に、
社会的に許容されないことを空想する場合、
「妄想」という言葉を使うのが当たり前のような感じさえある。


でもその言葉の使い方は間違っている。


「妄想」とは、
その内容が現実か非現実かの区別がついていない状態を言うのであり、
「空想」や「想像」とは明確に違うからだ。


「妄想」という言葉が乱用されるのと同時に、
「空想」や「想像」という言葉は使われる頻度が減ったと思う。

でも実際には、
妄想を持つ病的な人は少ない。

一方で、人はほぼ毎日空想や想像をしているはず。


面白がって「妄想」を多用しないで、
「空想」は空想、「想像」は想像と表現する日本語話者でありたいと私は思う。

緑内障検査

眼科に行ってきた。

40過ぎたら緑内障の検査を毎年受けなさいと誰かに言われたけれど、10年くらい前に、40代半ばで一度受けたきりで気になっていた。


まず視力検査。近眼はそんなに進行してなくてホッ。

風を当てる眼圧検査のあと、いよいよメインの視野検査。

片眼ずつ覗きこみ、真ん中のオレンジの光を見続ける。
その周りに白っぽい発光を感じたらボタンを押す。

この光が強かったり弱かったり、大きく見えたり小さく見えたりで、

アレ今のは??
光ったの?気のせい?

と考えているうちにすぐに次の発光があったりして、
あれれ今失敗したかも

なんて思ったらまた光が見えて、

ちゃんとやらなきゃ

と思っているうちに、
真ん中のオレンジの光ではなく周囲の白い光を追いかけている自分に気づく。

きゃーこれじゃ検査にならない!

なんて考えるけどそのままどんどん白い発光は続き、
手に握ったボタンを持つ手にも力が入り、余計なところで押してしまったような気がして
ますますカーっとしてくる。

時々白い光を追ってしまった警告であるブザーが鳴ったりして、
3分経ったのか5分だか10分だか全然わからない状態になったところで
「ハイ終わりです」
と優しい声がしてやっと片眼終了。

もう片方の眼もやはり同じような感じでかなり疲れ、
待ち合い室に行って、今度は目薬をさして次の検査を待つ。

そのうち目の前が白っぽく膜が張ったように見えてくる。

確か瞳孔を開かせる目薬だと言ってたよね?
死んだ時も瞳孔って開くんだよね?
死んだ時にもし生きてたらこんなふうに見えるの???

なんてアホなこと考えていると今度は眼底検査。

これは難しくもなくすぐ終了。


〔検査結果〕
眼圧、視野、眼底全て異常なし。
よって、緑内障を疑う所見なし。

私「あのー、次の検査は1年後ですか?」
センセイ「いやそんなに頻繁にしなくてもいいですよ」
私「じゃあ3年後とか?」
センセイ「まあ心配ならそうですね」


なんだ。

10年前の病院では、1年ごとに検査受けなさいと言われたけど、
定期的に検査しなくても大丈夫なんじゃないか。

とにかく良かった。

眼が見えなくなったら、

テレビもスマホも見られなくなるし、
美味しいものも眼から味わえなくなるし、

何よりも私にとっては、キレイ汚ない生活に重大な支障が出て、
それを苦にして自殺しようにも、
今よりも更にやりにくくなるという大変な問題が起きる。

死ぬためにも眼は大切にしなきゃ。

なんである。

皆さん40過ぎたら緑内障検査受けましょうね。